魂の宿る本と部屋
- 土田 亮
- 2018年9月7日
- 読了時間: 4分
「本のない部屋は魂のない肉体だ」と古代ローマの政治家であり、哲学者であるキケロは言った。私はこの金言に肖り、敢えてその対偶を取り、少しリメイクしてこの題を表した。つまり、魂の宿る肉体は本のある部屋であり、その場所こそが図書館であると私は考える。
どうしてそう思うのか、手始めに私の研究内容から述べさせてほしい。私はフィールドワーカーで、スリランカの洪水常襲地域における洪水被害とその対策の在来知に関する調査研究をアンケート及びインタビュー調査、参与観察、文献調査を組み合わせたとかなりハイブリッドなやり方を組み合わせて行っている。これまで4回スリランカを渡航し、計2ヶ月程滞在してきた。フィールドワーカーとしては滞在歴がかなり短いのはご容赦願う。とはいえ、研究のことばかり専念しても、ある時スリランカの文化的背景の理解に障壁が立ちはだかることがある。当然のように国や人、宗教などの背景は異なるわけだから、私はこれまで過ごしてきた2ヶ月の間でスリランカのことを全て把握したとは言えない。フィールドワーカーとはその名の通り、現場に赴き動くこと、すなわち、人々の声を聞き、身を以てその人になる、あるいは、現地の人の肩越しから物事を見る人であり、これらの営為が何よりも大事である。だから、長く現場に行けない時間が続き、現地の人になる感覚が鈍ると、研究の生命線となるその勘を取り戻すべく早くフィールドに行きたいという思いが募りに募り、それはそれでストレスがたまるのだ。
そういう時にこそとっておきのストレス解消の場所がある。そう、図書館である。図書館へふらりと入る。本は秩序良く並べられている。書架のある部屋に入ると、特有の、あの古びた紙や表紙、インクの染みた匂いはやはりどこの国でも共通のもので心が落ち着く。日本語であれ、英語であれ、時には現地語や国際語であれ、研究分野に近しい本でも、直接関係しない本もすぐさま手に取り、静かな閲覧席に腰掛けて目次から目を通し、内容をさらさらと読む。欲しい本にうまく目星がつけば一発で当たれるし、なければ公立、町立、大学、博物館、公文書館、さらには現地の図書館へ赴いて探してみる。これもまた、広義のフィールドワークと言えよう。しかし、これだけ多くの本を抱える図書館は、並ならぬ努力と労力が必要であったことを異なる図書館を訪れ本を読む度に推察する。本がたくさんある場所にこそ、本や資料を集めた人の思い、本の書いた人の情熱、すなわち、魂が漲っていると私は考える。私たちはその本やそこに記された先人たちの智慧を改めて知り、学び、今や未来に還元するべきであろう。そのエネルギーが図書館に宿されていると信じている。
所変わって、奇しくも、私がスリランカに渡航しフィールドワークに取り掛かる最中(2018年9月初旬に別企画の記事に投稿する本稿を脱稿)で、関西ではこれまでにない猛烈な台風21号が直撃し、また、北海道でM6.7を記録した巨大地震が起き、稀に見る大規模な自然災害が立て続けに発生した。執筆している今でも大切な人たちや友人が無事かどうか気になるし、一人の災害研究者の卵として、すぐさま現場に入って調査や研究をやるという気持ちには素直になれず、むしろとても居た堪れない気持ちに苛まれた。時には1日中ホテルの部屋に籠って今の自分や研究が正しいのかどうか悩む日もあった。しかし、この状況こそが改めてスリランカも日本も世界も同じ局面にいることを自ら再認識させ、こうして一生懸命集めた住民の声や本・資料と言った大切な情報を今のお世話になっている地域だけでなく、未来のスリランカや日本、アジア、世界に生かす大きなチャンスだと考えた。今は悔しくて苦しい耐え時なのだ。また、自分自身や今着手している研究のあり方とこれからどう社会に活かすのか自覚した。その絶え間ない自己と研究との対話の中で「今ここでやるんだ、頑張れよ」と囁かれたような気がした。願わくば、このような事態に瀕してでも地域や大学、管轄を問わず、図書館にある大切で貴重な本や資料を守って欲しいと切に思う。そうして守られ続けてきた叡智の上に、私たちや学問は出来上がっていくのだ、その魂の宿る本と部屋で。

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