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10年後どのような未来を構想しているか?

  • 執筆者の写真: 土田 亮
    土田 亮
  • 2020年12月24日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年1月1日


Photo by Olga Bast on Unsplash

僕たち私たちは10年後どういう未来を構想しているだろうか?



ふと僕はそんなことが気になった。

ご存知のように、未曾有の感染症災害により ここから先の未来に見通しがつかないような状況である。


そんな未来を切り開くのは誰だろう。

そしてその未来を切り開くにはどう考えたらいいだろう。


そんなことを僕はこの2ヶ月ほど静かに考えることが多くなった。



とてもシンプルだが、僕は2つのことが必要だと感じている。


一つは「灯火」である。

いかにして自分の情熱に火を注ぐのか、燃やし続けるのか。

消えたとしても、どのようにまた火をつけるのか。

つまるところ、ロジカルに自分やその将来を考えることももちろん必要だが、

それよりも情熱がなければそのロジックも動かせないのだ。

そこからこれからの時代の人間の生は切り開かれるのかもしれない。

自己と対峙して初めて揺らぐ自己の存在に気付き、構えが生まれる。

それでも、揺るがない自己をその灯火を見つめて生み出す。

かのアインシュタインは言った。

「生徒とは、教師が知識を流し込む容器ではなく、 火を付けてあげるべき松明なのである。」 「想像力は知識よりも重要である。 なぜなら想像力には世界を取り巻く力があるが、知識には限界があるからだ。」



そして、もう一つは「発酵」である。

外山滋比古先生は『思考の整理学』でも醗酵することの重要性が述べられている。

あるいは、落合陽一先生も『2030年の世界地図帳』で デジタル発酵という新しい概念を使って、 近代〜現代にかけて育まれた文化を技術を通して 新たな価値創造をしようということを打ち出した。

発酵は内向きに生じ、変容する力である。

このように、自らが構えている視点から少しずらしたところから 混ざり、溶け合い、磨き、生きる時間の中で これまでと違う発想やビジョンを生み出すことが必要なのだろう。





さて、もう一度問いたい。

僕たち私たちは10年後どういう未来を構想しているだろうか?


もっと真面目に、特に研究をしている人に向けて言い換えるならば、

10年後どのような学問的なフロンティアを創造しているだろうか。


それはいわゆる課題解決型的研究や学際的研究、最先端の研究のような、 最先端から見出されたイシューに多角的に着手して解決策を生み出し、

価値創造していく先のビジョンは何かということを僕が発問して、 その答えを求めているのではない。

慌てて付け加えるとしたら、何もそうした研究が悪であると指摘したいわけではない。

役に立つという価値基準もそれはまた主観の集合にしかすぎない。


突き詰めてソリッドに言うならば、己の問いはどの見地から生まれるのかである。

自分が見つめている学問、その意義や深淵さや 敷衍し望遠することをどこまで静かに考えているだろうか。

福澤諭吉の『学問のすすめ』のような修身を、 あるいは、新渡戸稲造の『武士道』のような精神的土壌を 現代に生きる我々が学問の道としてどこまで佇んで自覚できるだろうか。


ただ、答えを性急に求めてはいない。

この問うていることにどれほど己が小さな世界に息づき、

その強固たる躯体と朧げな思考を感じ、 思い馳せ、ひとり静かに考えることを磨くことで生まれる精神の手触りに気づかされるか。

それこそが肝要である。

灯火と発酵の両輪のアナロジーが相まって、自己と対峙する。

その時間が求められている。

その時間で湧き出る気づきは、 宮野公樹先生の『学問からの手紙』でいう「ああ」の悟りの領域でもあろう。





僕たち私たちは10年後どういう未来を構想しているだろうか?


答え合わせはいらない。むしろ、それは無意味に近い。

問い合わせこそ、今、必要なのだ。 そして、その問いをみなでオープンにし、磨き、灯火となって、発酵する。

そうして、未来は切り開かれる。

自らと対峙し、構える。

そんな未来を僕は静観していた。

 
 
 

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