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フィールドと身体
- 土田 亮
- 2018年4月10日
- 読了時間: 2分
しばらく調査やインターン、年度末・新年度に際する諸々でブログ更新を怠っていました。

今回の調査やインターンを通して特に思ったこと1つ端的に取り上げるとすれば。
それは「自らの身体を通して文化・社会生態を知り、具体化させることの歯痒さ」。
旅行やスタディツアーである参加者の視座がいわゆる観光者や傍観者の位置にあるとするならば、フィールドワーカーの視座は現地住民の肩越しから見るような位置(私の学部時代尊敬するお師匠さんから学んだ言葉を借りました)、つまり、現地住民として何か視覚や体感などの身体経験を会得しつつも、あくまで調査者であることに変わりはなくその経験を調査者自身の文化・社会観と隔てなく妥当な言葉で当てはめていく役割も担っています。
人類学・社会学における代表的な古典であるマリノフスキー航海日記やストリート・コーナー・ソサエティ、他フィールドワークのためのハンドブックを読むたびに「さらっと簡単そうに書いてるけど、やってみると想像以上にめちゃ現象学的記述必要だし、自己・対象をメタに観察せなあかんから難しいよこと要求するなあ」と思ってしまい、頭を抱えてしまいます。
でも、不思議とその難しさを楽しんでいる自分がいます。なんででしょうかね。フィールドワークの魅力や対象そのものの興味深さに取り憑かれてしまったとしか思えないくらいです。
今度またフィールドに行ってみた時は、楽しんでいる自分をもっと具体的に説明できたらいいなーと思います。
ということで、今回は真面目なこと書いてみました。
自らの身体を通して文化・社会生態を知り、具体化させることの歯痒さ、共感していただけたら幸いです。
ではでは。
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